トカラ列島・中之島紀行記(2)
(2)
小奇麗な平屋で、一応民宿として使えるようになっているとのこと。
この家の一部屋を与えられ、荷物を置いて一休みした後、まずは朝ごはんを準備する。
準備といってもTさんにはあらかじめ自炊してくれよ、
と言われていたので鹿児島で購入しておいたインスタントラーメンを煮るだけだ。
食事後もなんだかノンビリとしているので、この後どうするのか心配だったが、
しばらくして仕事についていくことになった。
港に向かう途中で車を軽トラから2tトラックに乗り換える。
出かける前に「パパイヤもぐか」と言われていたので軽トラに積みきれないほど収穫するのだろうか、
と不審に感じていたが、乗り換えた理由は港に着いてからようやくわかった。
先ほどフェリーから降ろしたガソリン入りのドラム缶を運ぶのに必要だったのだ。
当然、島内にはガソリンスタンドはないので、このようにドラム缶ごと仕入れているらしい。
港に置いてあるドラム缶は5つ。
そのうち宛先のよくわからない1缶だけを残して、
他の4缶は豪快に横に倒して転がしながらトラックに積んでゆく。
トラックは荷台の後ろの囲いがエレベーターになる優れものだ。
私はそのエレベーターを上下に作動させるという実に地味な作業をした。
そして、それらを各家庭へと運ぶ。
指定された場所にドラム缶を立てるのも一仕事だ。
どうやら積極的な島民は様々な雑務を掛け持ちしているようだ。
最後に自宅にドラム缶を置き、作業終了。
それから、鹿児島にいた時から噂を聞いていた
Iターン者である農大OBのYさんに会うためにスクーターを借り、一人で歴史民族館へ。
割と長身で立派な口ひげと顎ひげをたくわえているのですぐにわかった。
色々と話を伺いたかったのだが、今は観光客のガイドをしているので話せないとのこと。
仕方ないので館内を見学する。
立派な標本やビデオなどがたくさんあり、なかなか飽きさせない。
やはりトカラの文化は大和のものでも琉球のものでもない独自のものといえる。
特に悪石島にだけ伝わる「仮面神ボゼ」は完全に日本離れしており、
どちらかというと東南アジアを彷彿とさせる。
また、農作業で使う器具にも著しい特徴がある。
それは7つの有人島ごとに異なった地域の器具を使用していたということだ。
それも東南アジアの農機具のものである。
ここにトカラが歴史には全く姿を見せないものの、実は琉球王朝とはまた別個の交易国であり、
アジアの文化交流の架け橋となっていたのではないかという想像が生まれる。
その他、二つの島の盆踊りの映像を見たりして過ごす。
ちなみに仮面神ボゼは悪石島の盆踊りの最後に登場し、
マラ棒と呼ばれる棒で人々をつついたり、追い掛け回したりして人々を驚かせていた。
(つづく)