懲りずにトカラに行きました(16) -沢登り(2)-

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-沢登り(2)-

最初に出会った滝。


 登り始める場所からはイオウの匂いが漂っていた。
ひょっとしたらこの上流にもイオウが噴出している場所があるのだろうか
と考えながら進むとすぐに2mほどの小滝があらわれた。

大きな滝ではないが、鑑賞するぶんには立派な水の流れだった。
シダ類の深い緑色と滝を滑り落ちる白い水のコントラストが見事だ。
この先も何か所かこうした小さな滝に出会うことになったが、どれもとるに足らない小さな流れだった。

 沢は時々狭くなり、時々広くなった。
細い流れに豪快な滝がかかっていて、そこを避けて進むためにちょっとした壁を登るような箇所もあれば、
足首までしか水が流れていないように見えるほど、浅く広く穏やかな流れの場所もあった。

 途中でぼくの前に不思議な形をした木があらわれた。
ひと抱え以上はありそうな立派な幹をもった樹木だった。
沢が氾濫した際に倒れ、流されてきたのだろう。
不思議な木の形の正体は下流に向けて広げられた木の根だった。
その倒木の脇には、とても大木を流せるとは思えない細々とした水が流れていた。

巨木の根っこ。
いったいどんな力が作用したというのか。

 どんな沢を登っていても尾根に上がるまでに一度は氾濫の痕跡に出会う。
しかし、いつもこの巨大なエネルギーを信じることは難しいと思ってしまう。
だがやはり、目の前に大股を広げた大木が横たわっているのだから、
この小さな沢も時として獰猛な獣と化すのだろう。
目の前の光景は、
巨大な生命をいともたやすく殺してしまう自然の大きな力が存在していることを証明していた。

そのエネルギーは長い年月を経て積み重なり、
山を削り、沢を作り、その沢は川となって海へと注ぎ続ける。
そうしてぼくたちはその恩恵で日々をなんとか過ごしている。

こんなに果てしない力を秘めた自然に対してぼくは敬虔な気持ちを抱かずにはいられない。
普段、都市で暮らしている人間にとって、一時の自然体験には大きな教訓が含まれているのだ。

1ヶ所にだけみつけたガジュマルの木。
シダ類ばかりのところに突然あらわれるとちょっと驚く。


 小さいだけに中身も薄いかと思われた宮川だったが、
大きさとは裏腹に沢の様子は次々に変化していった。
ほんのわずかだが、両岸が切り立ったゴルジュ地形もあり、
そうした遡行はぼくを飽きさせることをしなかった。

遡行を開始してから2時間ほど経過し、いつ終着点に着くのかと心配していたらちょうどその時、
目の前の沢が広がり、ぼくは密林のなかに包まれた。
そこからは沢がいくつかの支流に分かれていたのだ。
一気に水量が減ったその地点は沢というよりはジャングルにぽっかりと広がった空間となっていた。

 ぼくはしばらくどちらへ進もうかと迷ったが、
わずかに水量の多い右側の沢を本流だと判断して、また沢を登り始めた。
沢が分かれてしまったために終着点に着くだろうかという不安はより強まってしまったが、
ここまで来たからには引き返すより進む方が賢明な判断だということは明らかだった。
そして、やがて目の前には大きな堰堤があらわれた。終着点だ。

 沢から抜け出すと雲ひとつない青空が迎えてくれた。
踏み跡のまわりには、太陽の光が透き通って銀色に輝くススキが風に揺れていた。
沢のなかのほの暗さに比べて光に満ちあふれている地上はなんて清々しく、安心できるのだろう。
一気に緊張のほどけたぼくは現在地をあらためて確認してから道の脇にどっかりと腰を下ろした。
肩の荷を下ろすと荷物と一緒に一層心は軽くなるようだった。
農家からもらった青いみかんを食べて喉を潤し、
ぼくは今まで気になっていた沢を登りきった満足感に浸っていた。

(つづく・次回で今回のトカラ紀行は最終回)

撮影機材:OLYMPUS E-3 + ZUIKO Digital ED 12-60mm f 2.8-4.0 SWD

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