現代には現代の探検家が必要だ

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Expédition Makay Nature 2010 : campement

Photo by museumdetoulouse


昨年、学生時代に私が所属していた東京農業大学の探検部が50周年を迎え、
それはそれは盛大な(大変な)パーティー(飲み会)などが行われたようです。

さて、皆さんは探検部がある大学の特徴をご存知でしょうか?

それは、古い大学であるということ。

比較的最近にできた大学で「探検部」という言葉はあまり聞きません。
せいぜい、山岳部とか、ワンダーフォーゲル部がある程度ではないでしょうか。

これは、そもそも日本における探検部の必要性が現代に近づくにつれ、薄れていったからです。

なぜ薄れていったのか。
それは、国内における未探検地域がほぼ消滅したからです。

しかし、今から4,50年前の日本といえば、まだ近代登山も始まったばかりで、
国内には多くの地理的空白が残されていました。

たとえば、黒部峡谷にある剱大滝や、称名滝。

そしていつの間にか探検する場所がなくなっていき、
やがて多くの探検家は海外に目を向け始めます。

もちろん、探検部黎明期の頃も多くの海外遠征が行われてきました。
当時は海外に行くだけでも大冒険だったこともあり、大規模な遠征しかありませんでした。

ところがだんだんと世界への扉が開き始めると、
小規模な海外遠征も可能な土壌が日本の探検界にも広まっていきます。

しかしそんな時代も長くは続きません。
現在ではGoogle Earthなどを使えば世界中あらゆる場所を見下ろすことができ、
地理的な空白はなくなってしまいました。

昨年、海外溯行同人の角幡唯介さんが「空白の5マイル」を発表し、
ホントのホントに最後の秘境だと考えられていたチベットのツァンポー渓谷も全容が明かされ、
いよいよ地理的空白は地球上からなくなりつつあります。


↑ 探検系ルポの名著を読んでテンションを上げるのもいい。

そんな時代、探検家や冒険家にはどのようなミッションがあるのでしょうか?

この問いは、私が現役の探検部員だった時に仲間と何度も交わされました。

そして、その問いに対し、多くの人々が納得するであろう答えはこうです。

これからは、点と点の探検は終わり、
線と線をつなぐ探検が始まる―。

簡単にいえば、今まではエヴェレストに登ればそれで終わりだったけれど、
今度はエヴェレストに登ったらそのままローツェに登るとか、

沢と沢をつないで如何に長期間山旅を続けられるか、とかそういうことです。

そう、未知がなくなったのなら、今度は人間の限界という未知に挑戦していけばいい。
ただ、どこかに行くのではなく、それらに何かをプラスアルファしたような探検。

そんな探検がこれからは必要なのではないでしょうか。

そして、それはまた新たな未知を解き明かし、人類の知的欲求を満たしていくでしょう。
探検家や冒険家の存在意義とはこうなんじゃないでしょうか。

多くの人々に夢を与え、
人類のあらゆる知的欲求を満たす存在

 例えば私なら、山の中でいかにスマートに、Leave No Trace に旅を続けられるか考え、
そこから人間と自然の関係性を考えていくような…。

いずれにせよ、現代には現代の探検があるべきで、必要なんだと思います。

やはり、いつまでも挑戦を続ける人間の存在は、どんな分野にも必要で、
そういう“型から外れた人間”は社会の均衡を保つためにも不可欠です。

現代の探検を考えるとき、そこには色々な要素がからみ合ってきます。
そして、それが、楽しい。

新たな探検の形の一つとして、Leave No Trace な、
環境に負荷を与えない登山はいかかでしょうか。

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