かつて監獄の島だった台湾の緑島(綠島)で台湾の暗い歴史を学ぶ【前編】

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台湾緑島(綠島)の人権文化園区の模型

台湾の台東にある離島「緑島」に行ってきた。今回は日本島嶼学会の前会長で、鹿児島大学名誉教授である長嶋俊介先生とその奥さまと一緒だった。本当は自分の妻も連れて行きたかったのだが、残念ながら仕事の休みが取れなかったので、一人で夫妻をご案内することに。

長嶋先生とはもう10年近い付き合いだしとても気さくな方なので緊張はしなかったものの、一人だけでは少し寂しいし妻に申し訳ないかなと思っていた。そんな気持ちで行ってみたら思いのほか興味深い場所だったので次は妻とやってきたいと思う。さすがにアクセスしにくい島なので日本語での情報は少なかった。そこで今回は緑島のことをご紹介したいと思う。

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ダイビング天国の離島は地獄の島だった

ダイビング天国の離島は地獄の島だった

緑島は、台湾にある数少ない太平洋側の有人島だ。なぜ「太平洋側」を強調するのかというと、台湾の東側である太平洋側には黒潮が流れている関係で、黒潮が流れていない西側の海「台湾海峡」と比べると海の透明度が高いからだ。つまり、緑島は台湾にある数少ないダイビングスポットだというわけで、日本人向けのガイドブックには緑島はダイビングの島だと小さく簡単に説明されている。

確かに、緑島には島の小ささの割にたくさんの潜水民宿(ダイビングショップと民宿を混ぜた宿)がある。ちなみに最盛期の観光客数は年間約40万人で、今でも年間25万人もの観光客が訪れるらしい。その証拠に一本しかない緑島のメインロードの両側にはびっしりとレンタルバイクが並べられていた。そんな話を聞くと、台湾人にとっても緑島はダイビングが有名なリゾート地なのだなあと感じることだろう。

ちなみに太平洋側には緑島の他には2つしか離島がない。「亀山島」と「蘭嶼」だ。亀山島は遊びに行くことはできるが人は住んでいない島なので、一応無人島ということになる。行ったことがないのでなんとも言えないが、潜水民宿が緑島と比べると少ないだろうということは簡単に予想がつく。いや、無人島だからそもそも民宿とかないんじゃなかろうか。となると、太平洋側の離島でダイビングを楽しみたいなら必然的に緑島か蘭嶼になるので、観光客が集中するというわけだ。

緑島には絶景もあるし、そこから眺める海の美しさは格別! まさに天国のようなリゾートなんですよ! と言いたいところだが、実際の緑島はリゾート地とはかけ離れた場所だ。それがなぜかと一言で言えば、緑島がかつて「監獄の島」だったからである。天国のような場所から一転、地獄の島という言葉が頭に浮かんでくるではないか。

かつて台湾は本当の民主国家ではなかった

かつて台湾は本当の民主国家ではなかった

台湾では1949年5月20日から1987年7月15日までの38年もの長い間、戒厳令が敷かれていたということを知る日本人は少ない。戒厳令とは、戦争などの非常時において治安を保つために一時的に軍が国を統治するための臨時的な措置のこと。すなわち、戒厳令は非常時にごく短い期間だけ敷かれるものだ。

この戒厳令が38年も続いていたのはというのは世界的に例がない。そう、台湾は世界で一番長い間戒厳令下に置かれていた国なのである。このことを知った時は驚愕した。なにせ台湾は中国とちがって民主国家なのに、実際は戒厳令が解除されるまではまったく民主的でなかったということになるからだ。もちろん、今では完全な民主国家になっているが、そうなったのが今からわずか30年前だというのだから、民主国家としてに歴史はけっこう短いということになる。

この時代の台湾は国民党による厳しい監視社会だった。少しでも国民党の都合に悪いと思われた人間は次々に政治犯や思想犯として検挙されたのだ。そして、その政治犯が送られた場所がこの緑島だったのだ。彼らは何も悪いことはしていない。ただ国民党の都合に悪いという理由だけで緑島に連行され、強制労働と洗脳をされたのだ。そして彼らは「新生」と呼ばれた。

このトンデモナイ事実をじっくり学べる場所が、緑島の「人権文化園区」だ。緑島に島流しにされた新生が最初にさせられたことは、自分たちが閉じ込められる収容所を建築することだった。約2,000人の新生がおよそ5年の歳月をかけて作った収容所は今では緑島の厳しい波風によって壊れてしまったが、3棟作られた収容所のうち3つ目の棟が2008年に修復されて「新生訓導処時期第三隊展示区」になっている。

思想犯として強制労働と洗脳を受けさせられた人々

思想犯として強制労働と洗脳を受けさせられた人々

新生訓導処時期第三隊展示区の中に入ると当時の新生の寝室をリアルに再現した展示室や、当時の様子をつぶさに知ることができる資料室がある。特に新生の寝室は必見だ。当時と同じように暗い電灯の下にたくさんの新生に模した蝋人形が飾られており、まるで本物のよう。中に入るとさすがにゾクッとした。

この他に3つある資料室では新生の一日や、新生として収容されていた人たちのリアルなエピソードを聞けるビデオを鑑賞できる。なお、ビデオはかなり見ごたえがあるが、見ごたえがあるというのは要するに長いということである。日本語字幕などは付いていないので、中国語が分からない人にとってはちょっときついかもしれないが、中国語の字幕はつくし、漢字は同じなので大体雰囲気は分かるのではないかと思う。

新生の日々はまさに「演技」の連続だったという。刑期は短くて8年ほど、長くて無期までとさまざまだが、この監獄から逃れるためには国民党に更生したと思われなければならない。そこで新生たちは思想を変えたように振舞わなければならなかったのだ。だが彼らは辛い強制労働や洗脳教育を施されながらも、自分たちの信念のためにこっそりと創作活動をしていたそうだ。

ちなみに無期懲役だった人は34年もの長い間監禁されていたようで、1987年の戒厳令解除の時にやっと外に出ることができたのだという。彼はたとえ演技であったとしても自分の心に嘘をつけなかったのだろうと思うと切なくなるではないか。

そして人権文化園区にはもう一ヶ所「緑州山荘」という監獄がある。こちらはより悪質だと認定された思想犯・政治犯が閉じ込められた場所である。次回はこの緑州山荘と国民党と台湾人についてご紹介したいと思う。

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