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東京は震災に強い都市か?

東京は震災に強い都市か?

Photo by kirainet


東日本大震災から3ヶ月。 史上最悪の災害の引く尾は長く、全国各地で様々な議論が活発に行われています。

自治体での災害時の被害予測のやり直しや避難訓練はもちろん、
原発やめろデモ、そしてサマータイムなど数多くの議論があります。

今回は、故・梅棹忠夫氏が古くから提唱されている「都市神殿論」を頭にいれつつ、
災害に強い国づくりとは何か、Leave No Trace な現代人の生き方とはどうあるべきか考えてみました。

なお、都市神殿論は私の解釈で説明していますので、
もっと正確に知りたい方は梅棹氏の著書などをご覧ください。


梅棹忠夫—-地球時代の知の巨人 (文藝別冊)

都市神殿論とは、
簡単に言うと”都市は人が住む場所というよりは、人々が交流するための場所である。”という考え方です。
そもそも、都市とは人々が集まり、様々な議論をして国づくり(政治)をしていく役割を持っていた「神殿」が
基になっているのではないか、という考え方に基づくものです。

おそらく、実際に都市はそのようにして形成されていったのではないでしょうか。
しかし、現代の都市の多くは、人々の交流の場というよりは”便利だから住みたい場所”
というように変化してきているのではないでしょうか?

でもちょっと待ってください。
都市は便利かもしれません。しかし、人間が暮らす場所として敵しているかどうか考えてみてください。

家の周囲に広がるのはコンクリートジャングル。
自然はほとんどなく、飲み水もなければ、暖をとるための薪もない。
もちろん食べ物もありませんし、作るスペースすらありません。

人間はそもそも、自然の力を利用して暮らしてきたはずです。
野山の恵みを頂き、田畑を耕し、生きてきたのです。
つまり、人間が暮らす場所というのは、自然が豊かで、
食べ物をはじめとする資源に手早くアクセスすることができる場所のはずなのです。

その点から現代の都市を見つめてみると、
東京がいかに人間が暮らしづらい環境なのかがわかるはずです。

人間の住む場所なんて限られています。
自然があるところにしか人間は住めないんです。本当は。

災害に強い街を創ろう! なんて声明には疑問を抱かずにいられません。
一度電気が止まれば何もできないのが都市です。
一方で、自然の豊かな田舎に行けばそこには、
水、海の幸、山の幸、薪など様々な資源があり、キチンと生きていくことができます。

私は職業柄、様々な地域の農村を訪れるのですが、
そこに住んでいる方々は必ずといっていいほど、「この村は孤立しても生きていくことができる」と言います。それくらい、人間が生き延びるための資源が豊かなのです。

さて、冒頭の都市神殿論は、都市には人々が交流し、政治などを行う場であると説明しました。
今こそ、都市を神殿であった時代のように捉えるべきではないでしょうか。

つまり、東京はあくまでも人々が刺激を与え合う場を作る役目を担い、
人々は周辺の自然豊かな場所で暮らすというスタイルを作り上げることです。

海外に目を向けてみると、実はこれが当たり前であったりします。
都市は都市。人が暮らす場所は、人が暮らす場所なのですね。

日本は土地がせまいという方もいるかもしれませんが、私はそんなことはないと思います。
もし日本に本当に土地が足りないのであれば、
田舎に果てしなく広がっている荒れ果てた耕地をどのように説明するのでしょうか?

きちんと都市と人が住む場所の役割を分担すれば、
自然と、環境に適応した生活様式を実践する人々が増えていくのではないでしょうか。

都市に暮らしている人ほど、自然環境の保護と維持に関心を持っていたりします。
しかし、都市に暮らしている限り、自然環境を守る生活を実践することは難しいのが現状です。

都市神殿論を実践することで、私たちは Leave No Trace な生活、
つまり、後世に美しい環境を残す生活スタイルを取り戻せるかもしれません。

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