トカラ列島・中之島紀行記(5)
(5)
家に戻ると立派な料理が用意されていた。
ずっとラーメンじゃ可哀想だろうとTさんが仕出しを頼んでくれていたのだ。
食堂のない代わりに村の人が家にある食材を使って料理をつくる手伝いがあるようだ。
中之島に着いてからようやく普通の食事をすることができ、ありがたい。
ごはんも炊いていたので満足である。
ちなみに、現在の中之島では水稲栽培は行われておらず、その代わりに田イモを植えていた。
この島は米以外は物資が来なくなっても問題なく生活できる島といえる。
ある程度食事が落ち着いた頃にYさんが訪れたので、私も時々混ざりながら様々な話をする。
内容の多くは後に書かれている農業についてのことである。
他に、飼い殺し状態のトカラ馬の問題や、村に派遣されてきた職員の問題、
観光客への島の案内の仕方など色々話していた。
要約してしまえば、様々な問題と可能性は表裏一体の紙一重であるといえるかと思う。
農業以外で特に深刻な問題は天然記念物であるトカラ馬の利用の仕方である。
現在ではただ飼育されているだけで、何の役にも立ってはいない。
このままだったら絶滅させたほうが馬のためだとか、
天然記念物指定になっている故の不幸だ、という意見まであった。
過激な意見と思われるかもしれないが、間違いではない。
やはり前向きに乗馬用に訓練するとか、
竹富島の水牛車のように利用するとか考えなければならないと思う。
だが、そうした判断は結局、飼育者に委ねられているのであって、
天然記念物とはいえ村も国もほとんど口を出している様子はない。
なにか行政の怠慢を目の当たりにしたような気分であった。
翌日目覚めるとすでにTさんは仕事に行っており、家の中は空っぽだった。
スクーターを拝借してまだ見ていない部分を回ってみたが、
意外と道が複雑にできているので、全てを見ることはできなかった。
この日の収穫といえば、集落の中に巨大なガジュマルを発見したことと、
御岳の中腹から島を眺めたことくらいのものだった。
集落の中のガジュマルはこの島ではまだまだ小さい方である。
山の中に入ったらどんなに巨大なガジュマルがあるのか想像がつかない。
船が出港する時間まで十分に余裕を持って行動していたつもりだったのだが、
私はこの島のフェリーが定刻通りに出発するわけがないことをすっかり忘れてしまっていた。
島の人はちゃんと島内放送を聞いているのだが、ヨソ者の私は何も知らずにのんきに島を走っていた。
すると港にフェリーが停泊しているではないか。
嫌な予感がして急いで港まで走る。
Tさんが急げ急げと促している。
船はすでに全ての乗客を乗せ、タラップをはずし、ランプウェイ(車の乗り入れ口)も閉まりかけていた。
もちろん人間の入り口は閉まっている。
本当ならYさんに名刺をもらって二人に名残を惜しみながら去っていくはずだったのに、
文字通り船に「飛び乗る」ことになってしまった。
このフェリーを逃したら次に来るのは2日後である。
なんとも味気のない別れ方をしたことをTさんとYさんに、
そして飛び乗らせてくれた船員に、謝罪と感謝の気持ちを伝えたい。
幸い船の人は優しかったし、もう4度目の乗船で船員の顔も知っていたのが救いだった。
(つづく)