Leave No Trace の精神

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自分の体が持つ能力を進化させ、自然環境に適応してきた生物にとって、
私たち人間が、自分の体が持たない能力を補うために
様々な道具を作っていることを、他の生物が知ったらどう思うのだろう?

何万年も前に陸から海に還ったイルカたちは、
自分たちの身体能力を進化させることで、
はるか遠くにいる仲間たちともコミュニケーションがとれるようになった。

一方で、私たち人間は道具がなければ何も出来ない方向で進化を続けてしまった。

これは、進化と言えるのだろうか?

むしろ、道具を使う文化を発展させすぎてしまった私たちは、
今まさに退化し続けているということもできるのかもしれない。


道具は初めは便利なものだった。
しかし、便利を追い求めた結果、私たちは道具に使われ始めた。

特に、工場のなかで様々な機会の様子を見ながら動き回っている人間の姿は、
まさに道具に使われているという言い方が似合う時がある。

また、道具から便利さを享受するため、電気を必要以上に欲し、
挙句の果てに人類では取り扱うことのできない原子力を使い始めたことも、
道具に使われている証拠と捉えることもできよう。

自分たちの身体能力を活かしてまっとうに進化してきた生物に言わせれば、
私たち人間は本当に許しがたい存在かもしれない。

自然環境は自分たちの思うように動かすことはできないし、
それを分かっているから、それに合わせた暮らし方を祖先の人たちはしてきた。

地震や津波、台風…。

どれも最新の科学をもってしても太刀打ちをすることはできない。
少なくとも現状では。

しかし、ときどき私たちはその悲しい事実を受け入れることができず、
自分こそが万能なのだと思ってしまうことがままある。

自然に従い、それに学ぶ。

そんな姿勢は、今更言うまでのことではなく、
私たちの祖先がしてきたことなのだが、ついついそのことを忘れてしまう。

近年、アウトドアがブームになり、特に登山のブームが再来している。

山に入れば、そこはもはや人間の領域ではなく、
自然の機嫌に合わせなければならない世界。

私はただ、山に登るのではなく、
その自然から学べることを学びにいく登山をしたい。
そして、出来る限り環境に負荷を与えない登山をしたい。そう思う。

そうすることは、私たち人間はまた自然に近づき、
まっとうな進化を遂げるための小さなステップのような気がするから。

登山から色々なことを学んできたから、これからも学びたい。
今まで以上に、自然から何かを学ぶ旅をしたい。

そんな考えの中心にあるものが、
“Leave No Trace” という精神。

そこに残していいものは何も無いはず。

環境に負荷を与えないアウトドアライフを楽しもうじゃないか。
なにごとも、面倒くさい、辛い、ではなく、
楽しみながらやっていきたいと思う。

もう、自分勝手な登山の時代は終わりだ。
まっとうに進化しよう。

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