南アルプス・サバイバル登山(8)
ハイマツ帯で遭難者に間違われる?
ようやくハイマツにしがみつきながら登れるようになり、先頭のN隊員が尾根の頂上にたどり着いた。
が、そこは実に小さな尾根だった。
塩見岳はまだまだ遠くにある。それも深いハイマツのヤブの先に。
人の頭1つぶんしか見えないくらいの深く長いヤブの中。ほとんどハイマツの上を歩く状況がずっと続く。
目的地の稜線に目をやると何人かの登山者の姿が見え、どうやらこちらを不審に思って観察しているようだった。
ヘルメットをつけていなかったら完璧にただの遭難者だ。
藪漕ぎ1時間半、ようやく塩見岳の稜線へ
予定では沢からそのまま頂上まで行くはずだったので、こんなところでヤブを漕いでいるのをじっと見られるのは結構恥ずかしい。
が、そんな文句を垂れても仕方がなく、ぼくたちはひたすらにハイマツの中を泳いでいった。
やがてヤブのすぐ横にガレキの谷があらわれ、そこに逃げ込み、ようやくハイマツとの格闘を終えることができたが、それでも稜線にはまだたどり着かない。
あともう一息なのはわかるが、天気も次第に悪くなってきたし、早く登山道に行きたくてしかたなかった。
結局ヤブの中に入って1時間と30分ほど経ってからようやく稜線にたどり着くことが出来た。頂上はここを右に登っていく。
思ったよりも険しい稜線だったが、今までの登攀を振り返って見ればここはまだ一般人が歩いているレッキとした道。我慢して頂上を目指すこととした。
すると上からにぎやかな声が聞こえてきた。中高年登山者のガイドツアーだ。20人くらいはいただろうか。
やはり、稜線からぼくらの姿を見ていぶかしがっていたらしい。
そこから先はこんな道、あのおばちゃん達よく登ったなあ、と思う登山道が続き、20分くらい進むとようやく塩見岳の頂上に着いた。
あまりの疲労に気にならなかったが、ここは3000mを越えた頂点である。
ぼくを除く2人の隊員にとっては人生初の3000mだった。
しばらくの大休止をとってお昼の握り飯を食べてゆっくり過ごしたが、頂上からは一向に白いもやが晴れることはなかった。
もう少し早く着ければ大変な眺望だったろうに、と思うが、山頂というのは大概こんな結果になる気がする。
だいたい、朝から大変な標高差を登ってきているのだから、雲より早く登ってこれるわけがなかった。
稜線から南荒川への下降
またも険しい登山道を引き返し、今度はいよいよ核心部・南荒川への下降が待っている。
が、下降する沢の方面には白い霧がもくもくと湧いていてちっとも先が見えない。
天気も明らかに機嫌が悪そうだし、こうなったら遠回りでも新しい道を下って直接三峰川に出てしまおうかな、とも思ってしまった。
それでもできれば計画通りに事を運ばせたかったので、一所懸命に北側の様子を地形図と見合わせながら進んでいると、塩見小屋に到着した。
尾根のわずかなスペースにその小屋はあって、なかなか着かないな、と思っていたら突然目の前に現れた。
そこで運良く山小屋の方から、荒川までの踏み跡の場所を教えてもらった。なんでも水場に行く途中にあるらしい。
さっそく様子を見に行ったが、一向にそこにたどり着かない。
結構遠い。
そういえば遠いとは言っていたが。
ぼくは思い切って荒川へ下降することを決めてしまった。尾根道を行くには時間が遅すぎるし、やはり計画通りに進みたい。びびってなんかいたら計画はダメになるんだ、と思い込んでいた。
ついに未知のフィールドへ
小屋で贅沢にビールを買ってから下降を開始することにした。この先はもう、完全に未知の世界だ。
何が待っているかまったくわからないし、正直、日暮れまでにビバークポイントをみつけられる自信も小さかった。
だけど、ぼくらは踏み跡へと足を踏み入れた。
未知…それこそぼくらが求めるフィールドに違いないからだったかもしれない。
傾斜はかなりきつかったし、踏み跡はもとから踏み跡らしくなかったものだから、あっという間に消えてしまった。
やはり甘かったか。
そうも思ったが、下るぶんには絶対に沢に下りつくのは分かりきっていることだったから、手探り状態で慎重に下って行った。
が…N隊員の動きが遅すぎる。
Y隊員に聞いた話だとずいぶん滑ったり転んだりしながら下りていたらしい。
この時、ぼくはこの事の重大さに気づいていなかった。
天気がどうなるかは、わからない。
しかし、きっと雨にはならないだろうし、この先もきっとイワナが釣れるだろう。
そんな、根拠のない自信にあふれていた。と、突然Y隊員が叫んだ。
「マツタケだ!」
…んなわけなくなくない?
とぼくも西村隊員も思ったが、彼の主張はがぜん激しかった。譲ろうとしない。
これはれっきとしたマツタケなのだと。おれがどれだけマツタケの「お吸い物」を食べていたのかわかるか? と言ってくる。
わかった。それは、マツタケだよ。
とまあ、この程度の出来事くらいしかなかったが、ぼくらは一応、南荒川へと抜け出ることができた。
林の中から白い線が見えたのだ。降り立つとそこには荒涼とした沢の風景が広がっていた。
名前の通りだ。荒々しく削られてきた岩石がたくさん詰まっている。
そこにチョロチョロと水が流れていた。ぼくは喜んだ。
もう少しだ、もう少し我慢してくれ、N。と祈りながらぼくだけは先に下りてビバークポントを見つけ出した。
あまりいい場所はなかった。しかし、もうN隊員は歩けそうにない。
沢でのビバークポイントにはものすごくこだわる人間のぼくも諦め、比較的安全で平坦な場所で今夜を過ごすことにした。
ふと二股に分かれた沢の上部を見るとそこには大きな雪渓がもやの中に見えていた。
ビバークポイントには雪渓から吹いてくる冷たい風が吹いている。
それにしても、もしもう少し先に行きすぎていたら、この雪渓を下る羽目になっていたのか…と思うとゾッとした。
無事にこの沢まで下ってこれたのは運でしかない気さえした。
雪渓からの水が流れてくる冷たい沢に小屋で買ったビールを冷やしておく。
キンキンに冷えた、が、今夜の食料は乏しかった。
寒く、N隊員の目はトロンとしていた。もう、進めないのかもしれない。このとき、彼の片足はほとんど動かなくなっていたのだ。
撮影機材:OLYMPUS E-3 + Zuiko digital ED 12-60mm f 2.8-4.0 SWD
Ricoh GR Digital