屋久島紀行(11) -ヤクシカと出会う-
-ヤクシカと出会う-
西部林道の森を歩いているときに見かけたヤクシカ。
野性のヤクシカは前回のヤクサル とは打って変わって警戒心が強かった。
もう充分、というほどに観察してから車はまた道の続きを走り出した。
すると今度現れたのはヤクシカだ。
今、増加しすぎて被害すら出ているというヤクシカ。
だがその姿は本州のシカより小型でとても可愛らしかった。
動物愛好家がヤクシカを殺すなと訴える気持ちも確かにわかる。
しかしシカは木々の樹皮を剥がして食べるため、木を枯死させる原因を作っている。
増えすぎたら森が枯れていくのは当然のことだ。
「1年に何度か猟師がシカを撃つんだけど、それを食べることはしないんだ。
どうせ殺してしまうのなら食べてあげたほうがいいのに」
案内をしてくれているSさんが言った。
これに関して、ぼくも同感だ。
何が原因でヤクシカが増えすぎたのかはぼくは知らない。
が、だからといって間引くために殺すのならば食べてあげるのが礼儀ではなかろうか。
この世界の生き物は常に循環している。
この循環を止めることが環境を破壊してきていることは明白だ。
小さなことでもこの循環を止めないようにしていくべきではないだろうか。
もちろん、食用にするには様々な制約があるのだろう。
しかし、それは何億年と繰り返されてきた生命の循環よりも大切なものなのだろうか。
せめて可能な限りの努力はしていくべきだと思う。
こんなことを強く思うのには他にも理由がある。
ぼくは初めてトカラ列島の中之島に行ったときに野性のヤギを捕まえさせられた。
そしてそのヤギは島の誰かに渡されて食されることになった。
去年の春に捕まえた2頭のトカラヤギ。
沖縄から来た日雇い労働者からの依頼で捕まえたが、このヤギは後に解放された。
その日雇い労働者自身が自分たちで他のトカラヤギを捕まえたからだ。
トカラ列島では野性のヤギが増えすぎて問題になっている。
特に農業への被害は著しい。
ヤギはなんでも食べる生き物だ。
野菜やバナナの新芽があればあっという間に食べられてしまう。
おかげで農家は畑のぐるりに手間暇をかけてヤギよけのネットを張らなくてはならなくなった。
ヤギ害の度合いは島によって異なるが、
中之島の場合はこのようにヤギを捕まえて食べる人がいるために
ある程度の均衡がとれるようになっている。
島の人々はヤギを保護しない代わりに必要以上に、また無駄に殺すことはない。
この姿こそが“自然なこと”なのだと身をもって体験したから、
ぼくはヤクシカに対しても同じ態度をとるべきなのだと考えてしまう。
もちろん、トカラ列島は特別だということもできる。
本当は屠殺をするには許可と施設が必要なのだが、
7つの島に1人しか駐在がいないがために、多くのことは黙認してもらうことができるのである。
島と人口の規模が異なれば話もまた異なってくる。
しかしこんな事実と比べると自然に対して
ぼくたちはどんな態度をとるべきなのかすっかり迷い始めてしまう。
だがきっと答えはシンプルなのだろう。
<自然を理解し、自分に可能な限りルールに従うこと>
それが答えの1つだと思う。
(つづく)
撮影機材:OLYMPUS E-3 + ZUIKO Digital ED 12-60mm f 2.8-4.0 SWD