私は台風男
夜が明けて道路に出ると、そこには惨状がありました。街路樹はなぎ倒され、お店の看板は無惨に吹き飛び、地面には一面に小枝が散乱しています。
日本には夏の間にひんぱんに台風が訪れますが、台湾にはもっと台風が訪れます。
しかも、台湾に上陸する台風は勢力を強めたままのことが多いため、その破壊力は関東に上陸する台風の比ではありません。
2013年の7月のことです。ぼくは休暇で台湾に来ていました。しかし、運悪く数年に一度の強さの台風が直撃する期間にあたってしまいました。
はじめて台湾に来たときから、台湾の友人に「雨男(ユイナン)」と呼ばれるほど、ぼくには雨がつきまとっていたのですが、今度はついに「台風男(タイフォンナン)」に昇格してしまったようです。
まだ日本では浸透していないのですが、台風のひとつひとつには国際的な固有名が当てられます。
今回の台風の名前は、スーリー(蘇力)。
テレビでは、どのチャンネルも「蘇力」について報道していました。
もちろん蘇力というのは、中国語の当て字なのですが、それにしてもなんだか強そうな名前です。
このような大きな台風が来ると、「台風公休」といって学校や会社はお休みになります。
ぼくは台風が来る日の午前中に出掛けていたのですが、地下鉄のホームには長蛇の列ができていて大変驚きました。
いえ、正確にはホームに向かうエスカレーターに長蛇の列がありました。しかし、よくよく見るとエスカレーターには誰も乗っていません。
あまりにも人が多いため、エスカレーターでホームに行く人数を制限しているのです。
日本には世界で一番利用客の多い新宿駅がありますが、台風の日の台北駅は人口密度に関してはそれよりも高いようでした。
一定の風速と雨量を越える予想が出されると会社や学校はいっせいにお休みになります。
この日に観光で来ていた人にはご愁傷さまですが、一日中ホテルでじっとしているのが正解でしょう。
雨風に耐えて出掛けたところで営業しているお店がほとんどないからです。
強いて雨の日の台北を楽しみたいのであれば、地下街に行くしかありません。
台湾は雨や台風が多いため、地下街がずいぶんと発達しています。
特に台北駅の地下街は広く、隣の中山駅までずっと地下街が広がっています。
駅1つぶんの間にずっと地下街が続いているのですから、いかに広いかがわかるでしょう。
もちろん地下街は台北駅だけでなく主要なほとんどの駅にあります。
しかしながら、台風の日はホテルから出るべきではありません。
冒頭に描写したように台風の爪痕はすさまじいものでした。
街路樹はなぎたおされ、看板は吹き飛び交通信号は壊れていました。
町中ではそのような様子でしたが、田舎や山のなかではもっと被害が目立ちました。
周囲に高い建物がない田舎では風が好き放題に通っていたようで、街路樹が何本も連なって倒れている場所もありましたし、台風の数日後に訪れた九分のトレッキングコースでは、いたる場所で木が道をふさいでいました。
悲しいことに死者もあったそうです。ニュースではしきりに被害状況が伝えられていました。
もし、こんな状況で外出したらどうなってしまうかわかりません。
台風が近づくことがわかると、人々はいっせいに台風を迎える準備をします。お店の窓ガラスにはテープが貼られ、人々は近所のスーパーマーケットに買い出しに行きます。
しばらく外出できなくなるため、買いだめをするのです。
ぼくも例外ではなく近所のスーパーマーケットに買い物にいきました。ここでもレジの前に長蛇の列ができていました。
ぼくも日本人ですから台風のことはよく知っているつもりです。しかし、やはり台湾で迎える台風と東京で迎える台風には大きな違いがありました。なにしろ、東京に台風が直撃するなんてめったにありませんし、直撃したところで大きな被害はなかなかありませんから。
それにしでも、台湾人の台風に対する姿勢はなんとも手慣れたものだなあと感心したものです。
台風が来たらすぐさま学校と会社はお休みになり、人々はスーパーマーケットに買いだめにでかけます。
中国語がわからないからかもしれませんが、みんな実に落ち着き払っていたような印象を受けたのでした。
ぼくは今年から語学留学とワーキングホリデーで1年には以上台湾に滞在する予定です。
台湾で覚悟しなければならないのは、個人的にはその暑さと台風だと勝手に思っているのですが、今回、長期滞在の前に台風を経験したのは大変いいことでした。
強力な台風に、ぼくは台湾でのこれからの生活に暗雲を感じたのではなく、むしろ大丈夫なんじゃないかという感覚を持ったのです。
それは、台湾人の明るさや楽天的な性格からきているのだと思うのですが、台風を前にした台湾人の「こなれた感」に強く感心して安心感を覚えたからです。
自然の前にも台湾人はマイペースを崩さない。そんな気がしました。
台風は東の海上に出現し、西進して台湾に到達します。台湾に到達した台風は標高3000メートル級の中央山脈にぶつかり、一気に勢力を弱めます。
台風が去った後すぐに台湾人に連れられて海に行きました。海には高波が押し寄せ、時おり強風が吹きます。
浜辺にはたくさんの人がいました。ぼくたちは護岸に腰かけて海を見てぼおっとします。
周囲には同じようなことをしている人がたくさんおり、海岸沿いの駐車スペースいっぱいに車が停めてありました。
こんな天気の日になんで海に来るのか分かりませんが、たしかに海から押し寄せてくる風に吹かれながら高波をながめるのは気持ちの良い体験でした。
たぶん、土日だったのと台風公休が重なってたくさんの人がいたんだと思います。
そんなところにも、なんとなく台湾人の気質を感じるのはぼくだけでしょうか…。
後日、台湾人の恋人と九分の山を登っていた時のことです。彼女が突然言いました。
「線がひとつしかないから、今年は台風はひとつしか来ない。」
彼女の指の先を見ると笹のような葉があり、なるほど、確かに葉の表面に1本だけ横線が入っています。
この横線はかなり不自然なのですが、同じ種類の葉であれば大きなものも小さなものもほとんど行儀よく横線が入っています。
どうやら昔から、この葉に入っている横線の数でその年に上陸する台風の数がわかるのだそうです。
そうですか!
たったひとつしか台風が来ない夏なのに、まさにその時台湾に来たぼくは正真正銘の台風男なのかもしれません。